いつでも夢を
2014-08-28
いつでも夢を
作曲家吉田正氏の特集をNHKで放映していました。
大正10年(1,921年)茨城県日立市で生まれ、
昭和17年(1,942年)歩兵第二連隊に入隊、盲腸になりそのまま
満州にとどまり、終戦をむかえ(仲間は南方方面へ転戦しほとんど戦死)
23年8月までシベリアで収容生活を送ったそうです。
シベリアでは、森林伐採や石炭堀の重労働と極寒のなかで、
一晩に30人くらい翌朝になると死んでいる過酷な生活をおくり
食糧もろくに支給されずに、湿地体でカタツムリがいればポケットにしのばせて
休憩時間に焼いて食べる。トカゲがいるとロシア兵にターシャ(食べ物)が
行ったと馬鹿にされる。しかし、空腹ではどうしようもない。
そんななか、白樺の皮をはいで、小さいえんぴつを腰にはさんで、休息時間になると
メモをし、それに五線をひいて作曲したそうです。
ただ、あまりにも過酷だったためか、吉田さんはシベリア抑留の話は一切していません。
吉田さんは、シベリアから帰国し昭和23年「異国の丘」でデビューします。
吉田さんは、シベリアから帰国し昭和23年「異国の丘」でデビューします。
「いつでも夢を」 は.昭和37年(1,962年)高度成長のなか作曲された曲です。
昭和57年NHKのワンマンショーでの一言
私の歌を、私の歌と知らないで、みんなが歌っている。
そんな光景に出合いたいものです。
歌はいつからか詠み人知らずになっていきます。
そうして本当のいい歌は永遠の命を持つのではないでしょうか
私の作った曲の中からひとつでも、詠み人知らずになり
それを聞く日を楽しみにこれからも作曲を続けたい。
90才を過ぎたシベリアから帰還した方が70年過ぎても忘れずにカセットテープに吹き込み
よみがえった歌があるそうです。
「帰還の日まで」
この歌が抑留されていた人達のこころのよりどころとなり、なんとか生き延びることが
できたと、おっしゃっていました。
まさに、詠み人知らずの歌ではありませんか。・・・・・・・・・
山口会計 北村