零 ゼロ
2013-07-16
零戦と特攻隊員を描いた百田尚樹著『永遠の0』は200万部
突破のベストセラーなので読まれた方も多いのでないでしょうか?
もう少し零戦について知りたかったので『祖父たちの零戦I』
Zero Fighters of Our Grandfarthers 神立尚紀著を読みました。
戦争を生き残った海軍兵学校60期同期生の海軍少佐進藤
三郎と海軍中佐鈴木實のインタビューを元に書かれたノンフィク
ションです。
その国の工業力をはかる自動車を例にとると、昭和12年当時の
日本ではフォードやシボレーのノックダウン生産が主でした。
欧米から三流国と馬鹿にされていた日本が作り上げた堀越二郎
設計の三菱零式艦上戦闘機の優秀さは航続距離3,350km
最高速度533.4km/h卓越した戦闘能力を持つ奇跡の戦闘機
でした。(二一型 開戦当時)
昭和16年開戦当時から連戦連勝の零戦も昭和18年アメリカ
の新型戦闘機が投入されると劣勢になりはじめた。
昭和19年10月からは神風特攻隊が初出撃するようになりました。
海軍中佐鈴木實は着陸時の飛行機事故で頚椎損傷の生死を
さまよう重傷を負い、首も左に回らなくなったが、特別攻撃隊を
指揮する鈴木中佐は台湾で終戦を迎えました。
真珠湾攻撃に指揮官として参加した海軍少佐進藤三郎は内地で
訓練教官として終戦を迎えました。
戦後のゼロからの出発で進藤三郎氏は山口マツダ常務取締役を
退任後88歳、鈴木實氏はキングレコード常務取締役を退任後91歳
の生涯を全うされました。
特攻隊は勿論、日本軍の優秀なパイロットは機体に損傷を受けると
自爆しますが、アメリカ軍は落下傘で脱出して生き延び再び飛行機に
自爆しますが、アメリカ軍は落下傘で脱出して生き延び再び飛行機に
乗るので、操縦技術は上手くなって再び復帰する。
人を大切にしていた。
『戦争中誠心誠意働いて、真剣に戦って、そのことにいささかの悔
いはありませんが、一生懸命やってきたことが戦後、馬鹿みたいに
言われてきて、つまらん人生だった』と進藤三郎氏がむなしさを語っ
たことが印象に残りました。
堀越二郎の生涯を描いた『風たちぬ』は7月20日『永遠のゼロ』は
12月21日映画が公開されます。どちらも必見です。
山口会計 長島