黒田官兵衛孝高
2014-01-04
明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願い致します
明日1月5日からNHK大河ドラマ『軍師黒田官兵衛』が始まります。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、三人の天下人に愛され、恐れられた男と言われています。
黒田官兵衛孝高(くろだ かんべえ よしたか)は播磨国の姫路の小寺藩の家老の家に
生れました。
父黒田職隆(くろだ もとたか)小寺藩主の養女を娶って家老になると同時に、小寺の姓氏を
許されました。
35歳まで小寺官兵衛と名乗っていましたが、藩主の裏切りと逃亡により黒田に戻りました。
謀反を起こした荒木村重を説得する為に城に入りましたが逆に捕えられ、牢に入れられ、
1年後に救出されました。
官兵衛が謀反と疑われた時、信長は人質の嫡子松寿(後の長政)を殺す事を命じましたが、
竹中半兵衛が信長に内緒で助けました。
その時牢にあった藤の若蔓を見て生き延びたので家紋を『藤巴」にしたと言われています。
因みに兜は『合子形兜(ごうすなりかぶと)』と言いお椀をひっくり返したような形です。
秀吉に仕えた時、竹中重治半兵衛と共に二兵衛(にひようえ)と称され互いにその才智を認め、
半兵衛とは終生変わらぬ友情で結ばれていました。
戦乱の世にあって『戦わずして勝つ』を実行し、家臣団や家族を、とても大切にした武将です。
側室を持たず一人の女性を愛した愛妻家であり、歌や茶会を愛する文化人であり、キリシタン
大名であるなど、文武両道に秀でてました。
敵将や将兵までもが自ら進んで官兵衛の軍門に降りるのも、器の大きさと人徳がある証拠です。
秀吉は『官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るだろう』と言ったそうです。
しかし聡明な官兵衛は千利休が切腹させられたことで警戒し、出家して如水と称しました。
大変魅力的な人物で逸話には尽きませんが、これから日曜日8時は岡田准一官兵衛がどんな
官兵衛を見せてくれるか楽しみです。
山口会計 長島